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 水江は一瞬驚きに目を見開く。柔らかく重なったキスは、すぐに舌を絡ませる深いキスに変わる。苦しいくらいに激しく求める唇がまるで全てを奪い去っていくようで、水江は必死でシアの身体に縋りついた。
 奪われていく。
 言葉も声も記憶も想いも、全て。
(──いやだ!!)
 水江は必死でそれを奪い返そうと、自分からキスを深めた。舌を絡ませ、言葉も声も想いも吸い尽くして、飲み込んで、そして。
 ……やがて、シアが身体を離した。
 キスに力の抜けた水江の腕を擦り抜けて、シアはゆっくりと唇を離す。
 水江は見開いた目で茫然とシアの姿を見つめた。
 シアはその白く輝く翼をはためかせ、風に身体を乗せる。指先から離れていくシアの存在を、水江は必死で掴み直そうと腕をのばした。……けれどもう手は届かない。
 シアは虚空から水江を見下ろして、もう一度微笑んだ。
「!」
 その余りにも綺麗な微笑みは、残像さえも残さずに一瞬にして水江の目の前から消え去った。
 風がふわりと弧を描き、消えていく。
 その風が水江の頬を撫で、耳元に囁きを残したその刹那──。
 水江の記憶が、弾けた。

 ……西の空が緋色に染まっていた。
 夏の終わりの蝉がうるさいくらいに鳴いている。耳の中で鳴り響き続ける声。
 午後七時を過ぎた夕暮れの公園に人気はない。陽が落ちるぎりぎりまで遊んでいた子供達ももうすでに夕食に呼ばれて家に帰っていった後の、寂しい公園だった。
(……誰もいない)
 水江はひとりで立っていた。
 最後に残った子供だった。自発的に家に帰る子供、母親や兄弟が呼びにきて帰る子供……そのなかで、だが自分には呼びにくる家族がいないことを水江はよく知っていた。
(誰も、こない)
 西日の溢れかえる公園の広場の隅で、ボールを抱えて、ひとり立ち尽くしている。ただ蝉の声を一緒に。
 ひとりだった。
 ──その、夕闇のなかにたたずむ存在に水江が気付くまで。
 水江がその存在に気付いたのは、とても唐突だった。ぼんやりと水江は腕の中のボールを抱きながら、いつからその人はそこに立っていたのだろうか、考えた。
 何もない広場の中央。
 緋色に灼けた砂が僅かに舞って。
 ……子供ながらに水江はその存在を美しいと感じた。キレイ、カワイイ……そんなありふれた言葉で表せる印象ではなかった。
(うつくしい、)
 夕焼け色が映った白いスーツ。そよかに吹く風にふわりと舞う、光を放つように輝く白銀の髪。白晢の横顔は少しうつむきぎみで、その瞳は閉ざされていた。
 そして何よりも、その背中。水江はそれを翼と呼ぶことを知っていた。真っ白で、大きくて、美しい翼。それがその背中に生えていた。決して、違和感はなく。
 存在自体が美しかった。
 水江はその存在に目を奪われて、時間を忘れた。
 遠くで蝉の声を聞いて。
 ふと水江は首を傾げる。見惚れるほどの美しさのなかに、どこかはかなさのようなものを水江は不意に感じ取っていた。何か、昏く、沈んだようなもの。
(……寂しい?)
 それをどう形容するのかはよく分からなかったけれど。
 けれどなぜか無性にそれがかわいそうに思えてきて、水江は顔をしかめた。まるで、その存在の悲しみが伝染したかのように、突然泣きだしたくなって、強く唇を噛み締める。
 その悲しみを、その寂しさを解放してあげたいと、水江は思った。
 ゆっくりと足を動かして静かに歩み寄る。すぐ傍らに水江が近付いて、初めてその人が瞼を持ち上げるのを、水江は見た。
 瞼の奥の瞳は、宝石のような蒼色。
 涙の色だ、と閃いた。
 水江は身体が触れるほどにすぐ近くで、その瞳を見上げた。真っすぐにその涙色を、水江は見つめた。
「どうしたの?」
 呼びかけたとき、驚いたようにはっとその人は水江を振り返った。足元に小さな子供の姿を認めて、何度か目を瞬かせてから彼はそっと微笑むと腰を屈ませた。
 間近になった瞳を見返して、水江はやはり切なく思う。
「泣いてるの? 寂しいの?」
「……泣いてなんか、いないよ」
「寂しいの? どうして、寂しいの?」
 どうして、と尋ねられて少し困ったようにその人は顔を歪ませた。どう答えるか迷ったのか、微かに首を傾げる。
 声は静かに答えた。
「仕方が、ないから」
「……?」
「私は、普通と違うから。昔も、今も……いつまでも」
「違う……?」
 その綺麗な翼があるからだろうか、と水江は思った。だがその翼は言葉にもできないくらいに美しく、悲しむ原因のようには思えなくて、水江は悔しさに唇を噛んだ。
(こんなに、綺麗なのに)
 違うなんて、ひどい。
 水江の沈黙をどうとったのか、翼の持ち主は水江を見つめてそっと微笑む。
「……天使だということだけでも珍しいのに、私は──私たちは双子の天使なんです。そんな存在は他にはいない。余りにも周りと違うんです。だから、」
「違わない」
 宥めるように告げた言葉に、はっきりと水江はそう答えていた。
「そんなの関係ないよ。どうでもいいことだよ。そんなことでいじめられるんだったら、僕が守ってあげる。僕が一緒にいてあげる」
 そう言って真摯に見つめてくる水江の眼差しを受け取って、その天使は不意をつかれたよ・うに驚きに目を見開いた。
 淡い水色が夕日に煌めく。
「一緒にいるから、だから」
 水江は水江自身が泣きだしそうな表情をしながら必死で告げていた。
 ──泣かないで。



 虚ろな静寂が押し寄せていた。
 愕然とその場に膝をついたまま、水江は雲ひとつない澄み切った空を見上げた。手の届かない空で、星々は瞬く。
「……水江?」
 声が呼んだ。
 よく知った声だ。優しく厳しく明るい、大切な友人の声だ。そう知りながらも、水江は声を振り返れないでいた。
 最後に掠めた風はもう、ない。
 真夜中の公園はまるでなにもなかったかのように静かな暗闇に沈んでいる。
 風の囁きは、ただ耳に残り。
「……そんなの」
 水江は両手で顔を覆った。身体の内側から訴える衝動に耐えられずに、水江は両手で頭を抱えて地面に突っ伏した。抑えられない嗚咽が溢れだす。
 鎖骨が熱くなって、喉が震える。
 涙があとから溢れて止まらなかった。頬を伝う涙を地面で拭うように強く顔を地面に押し当てた。
「なんで……!」
 ……深い喪失に耐えられない。指がなにかを求めるように砂をかいた。
「水江、水江!」
 真也の腕が強く水江の肩を揺する。地面から水江を引き起こして、餓えているかのような強さでその身体を抱き寄せた。
「ごめんっ、水江、水江! 俺、引き止めて良かったのか? 本当は一緒に行きたかったのか!? 水江!」
 苦しげに尋ねる真也の問いに水江は何度も何度も激しくかぶりを振った。強い力で受けとめる真也の身体に縋りつく。
「ごめん、ごめん、水江……!」
「……じゃ、ないっ、そうじゃなくて」
 一緒に行きたかったんじゃなくて、一緒にいてほしかった。
 ずっと一緒に。
「約束したのに。約束、してたのに!」
 水江は泣き叫んだ。
 幼い頃の約束を、破ってしまった。自分の我欲で、大切な約束を破った。
「どうして、シア……ッ!」
 最後の瞬間まで、あれほどに優しく。
 水江は最後の囁きを抱き締めるように、耳を両手で塞いで身体を縮めた。
「シア、シア、シア!」
 風に乗った囁きは優しく甘く、鼓膜を震わせた。
 ──やっぱり、あなたは。
 汚れのない美しい微笑みが告げる。
 ──……綺麗ですね。
 白く輝く翼も涙の色をした淡い水色の瞳も暖かい腕も綺麗な微笑みも全て、もう手が届かない。理想より星より遠く高く、もう二度と手が、届かない。
 水江は泣いた。
 止めようもなく溢れだす涙が枯れ果てるまで、ただ泣き続けた。
 悲しみと嘆きと苦しみが歩き始める原動力になるまで。一パーセントも満たない可能性を求めて、奇跡のような邂逅をもう一度求めて、歩き始めるその力になるまで。
 そして、やがて。
 ──あきらめない。
 ただその言葉だけを呟きながら。もう一度、出逢うために、もう二度と迷わないために。……やがて、水江は歩き始める。
 覚えているのは、淡い水色の──涙の色をした透き通るような瞳と、白く輝く美しい翼。
 それから、彼の優しさ。



--Fin--
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水沢圭子

Author:水沢圭子
目指せ小説書き。日々の生活に甘んじず頑張るために実験的にブログ小説を始めることにしたくせに、結局書けてません。とはいえ現在は投稿メインでがんばり中。

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