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 走る身体が、なぜか軽い。
 真夜中の街を水江は走っていた。ゴールもなく、目標もなく、ただ走ることだけに集中して。……走っていると他のことはどうでもよくなっていく。
(もう、どうでもいい)
 暗闇の街に人気はない。
 住宅に住宅が続き、時折大通りには華やかな店が立ち並ぶ。だがその光も届かない夜の闇は、暗く静かに沈んでいる。
(──どうでもいい)
 身体が浮いているみたいに軽かった。走り続ける身体は火照り、身体中から汗が吹き出ていた。汗に濡れた髪がこめかみに張りついて、髪の先から汗の雫が頬を伝い落ちる。
 真也と郁を突放して走りだした背中が、熱い。
 泣きだす直前の衝動を抱えた身体の節々が軋み、熱く、痛かった。
 なだめる腕が欲しかった。優しく差し伸べてくれる腕が欲しかった。やわらかく抱き留めてくれる腕が欲しかった。
(──シア)
 馬鹿みたいにそれでもなお最後の望みをかけようとする自分が可笑しくて、水江は走りながら笑った。
 天使なのに。仕事なのに。微笑みも優しさも全て嘘だったのに。
 それでも。
(シア、)
 もう帰れないなら、あきらめるしかない。
 ──自分は天使なのだ。
(もう、それでいいよ)
 だから、仕事でいいから、迎えにきてほしいと水江は願う。仕事でいいから、優しくしてほしい。声が聞きたい。深みのある声で柔らかく名前を呼ぶ声を、聞きたい。
(……シア)
 淡い水色をしたその眼差しが訴えかけるから。
 まるで切なく。
(だって、あのとき──)
 気付けば、水江はいつのまにかどこか見覚えのある道程を走り抜けていた。少し古い木造の家の立ち並ぶ静かな住宅街の一角。決して見慣れてはいないのに、なぜかひどく懐かしい……。
 白い外灯の光が、視界に飛び込んだ。
 ひしめくように立ち並ぶ住宅街の、死角みたいに空いた穴。それは余りにも小さな公園だった。
「────」
 ふと水江は足を止める。走りすぎてふらつく足でぼんやりと公園に近付いた。
 小さく、狭い公園だ。半分は鉄棒と小さな滑り台とぶらんこだけがある遊技場で、半分は狭い広場になっている、どこにでもあるような公園だった。どこにでもあるような、だが確かにこの公園を知っている、そう閃いて水江は息を飲む。
(だって、あのとき)
 水江は茫然としたまま、広場に足を踏み入れる。
 ──瞬く、既視感。
(あのとき、天使が)
 舞い下りて。
 水江は空を見上げた。雲のない、星の煌めく夜空を見上げたそこに、そして水江は求める姿を見付けたのだった。

 仕方がないんだよ、と囁いた白い美しい存在はあのとき泣いていたのだろうか、と水江は不意にそう思った。
 美しく、白く輝く存在を目の前にして。
「……シア」
 暗闇に浮かび上がる姿は余りにも貴く気高く美しかった。人外の美しさなのだ。と思って水江は彼を見つめる目を切なく細めた。
「水江さん……、」
 声は深みがあって耳に心地良く届く。水江は力が抜けたように相好を崩した。
「……もういいよ。もう、いい」
「水江さん?」
「シアが仕事ならそれでもいい。俺のことなんかもうどうでもいい。もう、なんでもいいよ。……仕方が、ないんだよ」
「────」
 目の前に舞い降りてきた天使は、その美しい翼を広げたまま少し困ったように眉をひそめてみせる。
 水江は疲れ切ってもう立っている力さえ覚束ない身体を支え切れずに、その場に膝をついた。……見上げるようにして目の前にした天使は、切ない色をたたえた眼差しで水江を見下ろしている。
(……覚えているのは、淡い水色の)
 涙の色をした透き通るような瞳と、白く輝く翼──。
 ──どうして。
 そう呟いたのは、今の自分なのか、幼い頃の自分なのか、水江はもう何も分からなくなっていた。ただ今も昔も、美しい天使という存在を前にして。
 ──どうして、泣いてるの?
「……仕方が、ない。だって、異端だから」
 あのとき天使もそう答えたのだ。
「異端だから。違うから。ただもうあきらめるしか、ないから」
「…………」
「欲しいものは何も手に入らないから。絶対に無理だから」
 自分は天使で人間じゃない。人間になれない。一緒にはいられない。自分は天使で悪魔じゃない。悪魔にはなれない。かけがえのない存在にはなれない。パートナーにはなれない。ただの仕事仲間でしかない。
 全部を、あきらめるしか、ない。
 ……背中が熱い、と水江は思った。寒さになのか震える身体を抱き締めて、水江は身体を小さく丸める。丸めた背中が熱かった。
 天使は静かに地上に降り立つと、地べたにうずくまる水江の身体をまるで包み込むように、そのたおやかな腕を広げた。深い夜の闇の中でその空間だけが汚れのない白い光にぼんやりと浮かび上がる。
「水江さん、」
 囁くような声がそう名前を呼んだ。水江は縋るように自分の肩を抱き、身体を縮めたまま何度も首を横に振る。顔をあげて目の前の存在を見ることも、つらかった。
「……仕方ないよね、だって、違うから」
「水江さん」
「いいよ、俺のことなんかもうどうでもいいから。仕事ならそれでいいから、早く連れていってよ」
「……行きますか、私と」
 声は切ないほどに優しく、苦しい。
 水江は項垂れたまま頷く。
「早く、もう、終わりたいんだ」
「…………」
 シアは目を閉じた。水江の目の前に膝をつき、大きく白い翼を広げて水江の身体を包み込む。……それはまるで暖かく抱き締められたかのようで、水江は切なく強く目を閉じて唇を噛んだ。
「一緒に、いきましょう、水江さん」
 声は甘く囁く。
(……でもシアは)
 吹き荒れ渦巻いた胸のうちに最後に残ったのは、──絶望だった。
(俺のことなんて、どうでもいい)
 強く閉じた瞼の隙間から、一条の涙が静かに零れ落ちた。



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水沢圭子

Author:水沢圭子
目指せ小説書き。日々の生活に甘んじず頑張るために実験的にブログ小説を始めることにしたくせに、結局書けてません。とはいえ現在は投稿メインでがんばり中。

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