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 ……馬鹿なことをしていると思う。
 こんなことをしてなんになるのだろう。そう自分でも水江は思う。だけど、もうどうしようもなかった。確かめなくちゃいけない。このぐらぐら揺れている足元を、この息苦しさをどうにかしなければ、もうどこにもいけないような気がした。
 夏休み最後の部活というのは嘘だ。……自分がいないときにシアがどうしているのかを確かめたかった。本当に祖父の教え子で、本当に論文や書斎の整理をしているのか。普通に、人として、当たり前の暮らしをしているのか。それとも。
「…………」
 部活のあるいつもの朝と同じように起きて、水江は部活の用意をして家を出た。いつものようにシアがそれを送り出して。
 それから水江は学校のそばまで言って、本屋やコンビニに行ってぐるぐるそのあたりを回り、二時間経ってからそっと家に戻った。
(……だって僕は人間だ)
 だからシアも人間のはずだ。
 すがるように、そう玄関のドアノブに手をかけた。
 そっと音をたてないようにドアを開ける。……いつもの部活帰りなら、シアはほとんどタイミングを過たずに水江を迎え入れる。だが今日はなんの気配もなかった。
 時刻は昼過ぎ。部活があるなら水江は絶対に返ってこない時間だ。窓が空いているのだろう、部屋の中は風が抜けて、夏の熱気が揺らめいている。静かに入っていったリヴィングにシアの姿はない。
 ──書斎だ。
 ふと思い当り、水江はリヴィングの西奥にある祖父の教授生活の中心にあった書斎に向かった。……そう、彼は祖父の教え子で祖父の書物と論文の整理をするのが仕事なのだから。
(いるはずだ)
 それが、彼の仕事のはずなのだから。
「……シア?」
 書斎の前で一度深く息をつき、それからゆっくりと水江は書斎の重い扉を押し開けた。室内に満ちた冷気が流れだし、水江の頬を撫でていく。
「────」
 扉をそっと開いて中に入ったそこで、水江は足を止める。
 目の前に広がっているのは祖父が自らの趣味を広い書斎だ。厚いカーテンの閉じられた窓のある壁をのぞいた三方の壁に一面並べられた書棚は全て書物に埋め尽くされている。その中央、やや窓寄りにおかれた木製の大きなデスク、その上にあるデスクトップのPC……見慣れたそれらの部屋の、なかで。
「シ、ア……?」
 水江が見付けたのは床にぐったりとして横たわるシアの姿と──そのシアの身体を柔らかく包むように抱えている、全身を黒で覆い尽くした、あのときの男だった。赤みを帯びた黒髪の頭が、扉の開いた音に顔をあげる。水江を見てさして驚いた様子もなく、ああ、と呟いた。
「…………」
 言葉もなく、水江はその場に立ち尽くした。……これが、答えか。
 白い服に身を包んだシア。
 黒い男。
 ……白と黒の一対。
 頭ではそれがどういうことなのか、冷静に理解していたけれど、感情がそれを強く否定した。
「なんで……なんで、あんたが……」
 胸の奥に重く暗いものが急速に沈んでいく。
(こんなの、間違っている)
(こんなの、嘘だ)
 何を言えばいいのか分からなかった。ただ胸から溢れだす激情に言葉が口をついて出た。
「なんでだよ、なんでなんだよ。どうして、こんな……っ。シア? シアは? シアはどうしたんだよっ!」
「……今、彼はここにはいない」
「全然分かんないよ……なんなんだよ、あんた。……でてけよ、でてけ!」
 水江の叫びに、男はシアの身体を抱き抱えたまま僅かに眉宇を寄せる。
「落ち着けよ、澤水江」
「なにがっ……」
「シアは別に倒れているわけでも死んでるわけでもない。……それに俺も出ていきたいのはやまやまだが、今はそういうわけにもいかないんでね」
「なんでっ、なんで、そんな」
「──落ち着け、澤水江」
 低く鋭い声の、その黒い男の言葉は命令だった。……それはまるで強制的に意識を、心を支配する力だ。
(あ、)
 胸の中を渦巻く感情も頭の中をかき回す混乱も、彼の声が鼓膜を打ってその意味を理解した瞬間に強制的に沈黙させられて、水江は反射的に口を噤む。
「なんで突然……。ああ、もしかして奴らに逢ったのか」
男はぐしゃぐしゃの赤みを帯びた黒髪を空いた手でかき回した。
「どういうことだ? って顔だな。……で、なに? 何が聞きたいんだ? 知りたいことがあるなら、俺が答えられる範囲で答えてやらないでもない」
「……シアは?」
 傲岸不遜にそう告げる男に、水江は何より先にそう尋ねた。
 聞きたいことはたくさんある。だが知りたいことは、シアに聞きたかった。
(シアに、シアの言葉で)
 答えを。
「あ? ……ああ、シア? 彼は今途中報告に天に戻っているよ。俺と違ってシアは今肉体と誓約を結んでいるからな、簡単には肉体を離れることができない。肉体と魂は当然密着した関係だからね、彼の本体の魂がいない間の不完全な肉体を保つにはパートナーである俺の力が必要だっていうわけ」
 シアの身体を抱えたまま男がそう言って笑う。水江は落ち着かされた心で、ぼんやりと彼の言葉を聞いていた。
「……パートナー?」
「そ、聞かなかったか? 天使と悪魔は二人でひとつだ。天使が命の生を司り、悪魔は死を司る。天使と悪魔が一組で初めて生死の世界が成り立つのさ」
「…………」 
 ふと水江はだからか、と思い出していた。海の防波堤で。──猫の死骸と、それを見ていた白と黒の存在。
 死の、声。
(……声?)
 ああ、と水江は打ちのめされるような思いで呟く。
「俺、……天使なの?」
 あのとき声を聞いた。猫の、死の直前の水江を呼ぶ声を、導きを求める声を。それがなによりの証拠だった。男はあっさりと頷く。
「そうだ。……正しくは天使の形質を持った人間、だが」
「天使の形質を持った人間……」
「おまえはまだ覚醒していないからな」
「…………」
 落ち着いた心は更に重く沈んでいく。書斎のひんやりした空気が、まるで肌に触れないで流れているような奇妙に浮いた感じがしていた。……世界から、浮かれて遊離するような。
 自分が天使で。
(……それで、なに?)
 水江は緩慢な動作で首を傾げた。
(それで、問題は、なに?)
 沈んでいく心がそう冷静に考える。衝撃的・な真実の衝撃は男の命令で失われ、水江に残されたのはただ疑問ばかりだった。
(それで、シアは、なに?)
 優しい言葉も、柔らかい微笑みも、暖かい腕も、全て……もう分からない。
「──俺」
「澤水江? どうした」
 唇は無意識に動いていた。茫然として弛緩していた指を水江はゆっくり握り込む。きつく、爪が手のひらに食い込むくらいに。
「俺、帰る」
「……帰る? 帰るって、おまえ、ここがおまえの家だろうが」
「──帰る」
 水江はそう言い切って、男と……彼の腕の中で横たわるシアに背中を向けた。
 それからゆっくりと足を踏み出す。薄暗く、どこか肌寒く、書籍の独特な匂いの満ちた書斎の扉に手をかけて。
「おい、澤水江」
 呼びかけてきた声に、水江は扉の外のすぐ出たところで扉に手をかけたまま振り返らず、足を止めた。
「おまえが帰ってこなけりゃシアが心配するだろうが」
「…………」
 ああ、と口のなかだけで水江は呟いた。緩慢な動作で首を傾げる。
(……心配?)
 足元は浮いたみたいにおぼつかなく、口のなかは乾いて気持ちが悪い。だから、早く。
「あとで」
「あ?」
「……あとで、電話する」
 早くもうここから出ていきたい。
 水江はそう言い残して扉から手を離して扉の外に出る──出ようとした。
 その刹那だった。
 不意にふわりと、まるで軽やかに背中を向けた薄暗い書庫に光が降り注いだのを水江は感じた。反射的に水江は背中を振り返る。
 振り向いたその、視界の中。不可視の輝きがその身に宿り、熱く息づく光景を水江は見た。生気なく横たわっていた身体が熱を帯び、動きだす。淡く透明な瞳を押し隠す瞼をゆるりと開けて──。
 扉を支える指の力が、抜けた。
 重い扉はそのままゆっくりと自動的に閉まっていく。
 狭くなっていく視界の先で、目を覚ましたシアがその身体を抱き留めている黒い男に甘く優しく、頼りきったあどけない微笑みを浮かべたのを、水江は見た。
「────」
 やがて、がたん、と鈍い音がして扉が閉じられた、その瞬間──。
 水江は走りだしていた。

--To be continue--
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水沢圭子

Author:水沢圭子
目指せ小説書き。日々の生活に甘んじず頑張るために実験的にブログ小説を始めることにしたくせに、結局書けてません。とはいえ現在は投稿メインでがんばり中。

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