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 ……足元が揺れている、と水江は思った。太陽熱に溶かされ歪んだアスファルトの道を歩くようにどこか奇妙な浮遊感が、ある。爽やかで翳りのない光が目眩を招いた。
 蝉の音が、遠い。
 ──シアもご苦労さまだな。 
 ひとりになると先程の男の声ばかりが耳に付いて離れなかった。耳の中で低い声が侮蔑するように水江を笑って喉で擦れる。
(何なんだ、あいつ)
 言い様のない不安が胸の中をかき乱して、苛々と水江は唇を噛み締めた。
(……シアの、何なんだ)
 言葉は鋭く、突き刺すようだった。まるで黒い悪意だ。
(悪意? 悪意というより)
 あれは嫉妬の色だ、とふと水江はそう思い至る。そうだ、あれは嫉妬だ。どす黒い嫉妬と苛立ちと焦燥と……そんな感情だ。そのくせ目だけはひどく真摯だった。本気だった。
 彼は、シアを?
 足元がぐらぐらと揺れる。降り注ぐ陽射しに視界が白く灼けて、不意にどこを歩いているのか、分からなくなる。身体の内側から急き立てるような昂揚が思考を狂わせて──。
 立ち昇る熱に歪んだ視界に眩しい白色を捉えたとき、水江はなぜかほっと息をついていた。家の玄関前に立つ、シア。
「……おかえりなさい、」
 水江を迎える彼の笑みが優しい。水江は、不意に胸に湧いた泣きだしそうな感情に静かに目を閉じた。


「どうかしたんですか?」
 家に上がりながら、第一声にそうシアが尋ねてきて、水江は驚いた。自然な動作でシアに手を差し出され、思わす鞄を手渡しながら水江はきょとんと見開いた目をシアに向ける。
「え? なんで?」
「なんだか暗いですよ、何か学校で嫌なことでもありましたか?」
「いや、別に」
 咄嗟にそう答えて、水江は汗に濡れたTシャツを脱ぐ。すかさずシアの手から真っ新なタオルが手渡されて、水江は少し困ったように顔をしかめてみせた。これじゃあ本当に甘えている。
 多分今日も水江が帰ってくる十分前につけられた冷房。適度に涼しく保たれた部屋が、まるで自分自身の甘えの象徴のようで素直に心地がいいと思うことができない。
「水江さん?」
「……なんでもないよ、別に」
 訝しげに尋ねるシアのそう答えて、汗に汚れたシャツを洗濯機に放りこみ、水江は顔を洗うために洗面所に入る。一瞬、シアから逃げているみたいだ、と水江は思った。
 ──あんたの所為でいろいろ迷惑被って。
(迷惑? ……シアが?)
 ああ、でもそうかもしれない。自分はただ甘えてばかりで。……こんな子どもの面倒をあと二年も続けるなんて迷惑以外のなにものでもないだろう。
 不意にそんな不安が背筋から這い昇ってくる。そんな考えを払うように何度も冷たい水で顔を洗い、水江は深い息をついて顔を上げた。
「水江さん、アイスティーはいかがですか?」
 洗面所を出た途端に、キッチンからそうシアに尋ねられる。
「……うん、もらう」
「はい」
 返ってくる声は明るく穏やかだ。水江は上半身裸のままでリヴィングのソファに身体を沈めた。……疲れている。だが、今日の疲れは身体の疲れというよりも、精神的に疲れているようだった。
「どうぞ」
「……ありがと」
 シアは細長いグラスにストローをさしてそれを水江に渡し、自分自身は三人ほど掛けられそうな広いソファの水江から少し離れた隣に腰を下ろす。
 すぐ手元のリヴィングテーブルにはいくつかの本と、紙の束がある。祖父の論文の整理の仕事だろう、と水江は思った。……祖父の書庫の整理も論文の整理も、実際にはそう長くはかからないだろう。そう水江は気付いている。だがシアは、少なくとも水江が高校を卒業するまでは、この家政婦業を続けるのだと言っている。それが水江には不思議だった。
「……シア」
「はい?」
 呼びかければ、シアは穏やかな微笑みとともに顔を上げる。一瞬水江は言い淀んだ。
「どうしました?」
「……シアさ、家族はどうしてるの?」
「え?」
 水江の不意の質問にシアは驚いて目を見開いている。
 丁度良い濃さのアイスティーに口を付けながら、水江は見つめてくる彼から何気なく視線を逸らした。
「だって、置いてきてるんだろ? 向こうにさ。……連絡してる感じもないし、いいのかなって思って」
「…………」
「シアってハーフだったよね。あ、じゃあもしかして日本にいるの?」
「……いません」
 返ってくるのはどこか硬い声だった。珍しいその口調に、聞いてはいけなかったのか、とぎょっとして水江はシアを見る。シアは自分の手元に視線を落としていた。
「……えっと、ごめん。聞かれたくないことだった?」
「いえ、そういうわけではありませんけど」
「けど?」
 問い返した水江に、数秒の沈黙が返ってくる。それから返ってきたシアの声は、やはりどこか硬いものだった。
「……家族はひとりだけ、います」

--To be continue--
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水沢圭子

Author:水沢圭子
目指せ小説書き。日々の生活に甘んじず頑張るために実験的にブログ小説を始めることにしたくせに、結局書けてません。とはいえ現在は投稿メインでがんばり中。

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